「施設に入れられる母が、かわいそうではないか」
「私は親不孝なのではないか」
誰にも責められていないのに、そんな言葉で自分を責めていませんか。
私も母をサ高住に預けたとき、自分を責めていました。
あのころ「罪悪感」と呼んでいたものの奥には、いくつもの気持ちが混ざっていたからです。
この記事では、私が感じていた罪悪感の奥にあった気持ちを一つずつ整理しながら、母を預けたあと、その気持ちがどう変わっていったのかをお伝えします。
読み終えたとき、自分の気持ちを少し整理できて、心が軽くなるきっかけになればうれしいです。
自分を苦しめていたのは、心の中の言葉でした
私の心の中にあった「かわいそう」「親不孝」という言葉
母の施設入所を考えていたころ、私は誰かから「施設に入れるなんて、お母さんがかわいそう」と言われたわけではありません。
それなのに、心の中では、
「施設に入れられる母が、かわいそうではないか」
「私は親不孝なのではないか」
という言葉が、何度も浮かんでいました。
誰にも責められていないのに、自分で自分を責めていたのです。
いまこの記事を読んでくださっているあなたも、もしかしたら同じように、心の中の声に苦しんでいるのではないでしょうか。
罪悪感の正体は、一つの感情ではありませんでした
当時の私は、この苦しさを「罪悪感」というひとことでしか捉えられていませんでした。
でも、時間がたって振り返ってみると、その奥には、責任や後ろめたさ、後悔、不安といった、いくつもの気持ちが混ざっていたことに気づきました。
「親を大切に思っているから罪悪感がある」という一言では、言い表せないものでした。
この記事では、その中身を一つずつ言葉にしていきます。
あなたの気持ちを整理する手がかりになれば、と思っています。
母を預けた日、罪悪感でいっぱいだった私
まずは、私の罪悪感がいちばん強かった日のことを、少しだけお話しさせてください。
最後の外食。おいしそうに食べる母を見て感じた後ろめたさ
母がサ高住に入所する日の昼、娘と母と私の3人で、近所の定食屋さんへ食事に行きました。
母は天ぷら定食を完食して、帰りの車の中で「美味しかったね」と満足そうに笑っていました。
母は、いつもと変わらない様子でした。
だからこそ、私はつらかったのです。
いつもと変わらない様子でおいしそうに食べている母を見ながら、「私はこれから、母の暮らしを変えようとしている」という後ろめたさで、胸がいっぱいになりました。
本当のことを、自分の口から言えないままでした
実は母は、入所当日まで、自分が施設で暮らすことになるとは知りませんでした。
私は、施設入所のことをなかなか言い出せないまま、当日を迎えてしまったのです。
母には施設へ入所することを伝えず、担当のケアマネジャーさんから「足腰の弱いところをリハビリに行きませんか」と説明してもらいました。
母はリハビリに行くつもりで施設へ向かったのだと思います。
本当のことを伝えられなかった私は、そのことにも強い後ろめたさを感じていました。
手を振って見送る母と、心に空いた穴
施設でのお別れのとき、母は「うん、じゃあね」と、無邪気に手を振って私たちを見送ってくれました。
家に帰ったあと、私の心にはぽっかりと穴が空いたようでした。
在宅での見守りに限界を感じ、必要だと考えて決めた入所だったのに、すぐに安心することはできませんでした。
その夜も、翌朝も、手を振る母の姿が頭から離れませんでした。
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入所当日の詳しい経緯と、そこから2ヶ月のあいだに私の気持ちがどう動いていったのかは、【体験談】母をサ高住に預けて感じた後悔と救い:2ヶ月で見えた気持ちの変化に書いています。
私が感じていた罪悪感の奥にあったもの
あのころ「罪悪感」と呼んでいた気持ちを、あらためて整理してみると、そこには4つの気持ちが混ざっていました。
私の罪悪感の奥にあった4つの気持ち
- 母の人生や暮らしを変えてしまったという「責任」
- 自分が介護から少し楽になることへの「後ろめたさ」
- もっと母と一緒に過ごせたのではないかという「後悔」
- 正解のない選択をしたことへの「不安」
母の人生や暮らしを変えてしまったという責任
いちばん大きかったのは、母の人生を変えてしまったのは私だ、という責任の重さでした。
母は、住み慣れた家で暮らし続けたかったのではないか。
私は、そう思っていました。
それなのに私は、母の暮らしを変える決断をしました。
本当のことを自分の口から伝えられないまま入所の日を迎えたことも、ずっと私の中に残っていました。
「本当に、これでよかったのかな」
「私の安心のために、母の自由を奪ってしまったかも」
そんな問いが、入所のあとも、ずっと心の中にありました。
親の暮らしを左右する決断を自分がした、という事実は、思っていた以上に重いものでした。
自分が介護から少し楽になることへの後ろめたさ
もう一つ、なかなか人に言えなかった気持ちがあります。
母を預ければ、私の生活は少し楽になる。
そのことを、心のどこかで望んでいる自分がいたことです。
在宅で母を見守り続けることには、限界を感じていました。
だから施設入所を考えたのに、いざ決断が近づくと、「母は暮らしを変えなければならないのに、私は楽になる」。
そのことが、後ろめたくてたまりませんでした。
少なくとも私の場合は、この後ろめたさは、母のことを考え続けてきた時間や、介護を担ってきた責任感と結びついていたのだと思います。
もっと母と一緒に過ごせたのではないかという思い
罪悪感の中には、後悔も混ざっていました。
「もっと母と一緒に、いろいろな場所へ出かけたかった」
この思いは、正直にいうと、いまでも残っています。
過ぎた時間は戻らないからこそ、「あのときこうしていれば」という気持ちは、罪悪感と重なって心を締めつけてきます。
正解のない選択だから、迷いが残る
そして最後は、不安です。
施設選びに、誰にとっても共通する正解はないのだと思います。
「この選択で合っていた」と誰かが保証してくれるわけでもありません。
だから私は、納得できるまで考える時間を取りました。
すぐに決められなかったのではなく、母のこれからの生活に関わる大切な決断だったから、考える時間が必要だったのです。
中途半端な気持ちのまま決めていたら、私はもっと後悔していたと思います。
迷いが残ったのは、いい加減に決めたからではなく、それだけ真剣に考えたからだと、いまは思えるようになりました。
罪悪感は消えなかった。でも、少しずつ形を変えていった

母を預けたあと、罪悪感がすっと消えたわけではありません。
それでも、時間とともに少しずつ、形を変えていきました。
面会で見た、在宅の頃と変わらない母の笑顔
入所してしばらくのあいだ、私は母のことばかり考えていました。
施設に馴染めているかな、夜は眠れているかな、と。
まるで、我が子を保育園に預けたばかりの親のような気持ちでした。
そんな私の気持ちが動いたのは、面会のときです。
会いに行くと、母は在宅の頃と変わらない笑顔を見せてくれました。
その顔を見るたびに、心配ばかりだった私の気持ちは、少しやわらいでいきました。
母の穏やかな様子を、一つずつ確認できた日々
罪悪感が軽くなったきっかけは、一つではありません。
面会から帰るとき、母の口から「私も帰りたい」という言葉が出なかったこと。
職員さんから、併設のデイサービスを楽しんでいる様子を聞けたこと。
施設のInstagramで、普段の母の様子を見られたこと。
母が穏やかに過ごしていることを、こうして一つずつ確認するたびに、罪悪感は少しずつ軽くなっていきました。
劇的な出来事があったのではなく、小さな安心の積み重ねでした。
それでも、罪悪感がよみがえる日はあります
とはいえ、すべてが解決したわけではありません。
母に帰宅願望が出たと聞いたときは、いまでも罪悪感がよみがえることがあります。
私の中の罪悪感は、なくなったのではなく、普段は静かにしているだけなのかもしれません。
いまは「これでよかった」の気持ちのほうが大きい
それでも、いまの私の中では、「これでよかった」という気持ちのほうが大きくなっています。
あのまま在宅で母を見守り続けることには、限界がありました。
罪悪感を抱えているときにできる小さなこと
ここからは、私の経験から、罪悪感を抱えているときの助けになりそうなことを4つお伝えします。
今の介護でつらいこと・限界を感じていることを書き出してみる
罪悪感で苦しいとき、頭の中では「親への申し訳なさ」ばかりが大きくなりがちです。
そんなときは、いま介護でつらいことや限界を感じていることを、紙やスマホに書き出してみるのも一つの方法です。
自分が抱えてきた状況を少し離れて眺められると、見えてくるものが変わってくるかもしれません。
一人で抱え込まず、家族やケアマネジャーに気持ちも含めて相談する
わが家でも、施設入所への考えが家族の中で最初から一致していたわけではありませんでした。
状況だけでなく、「つらい」「迷っている」という気持ちも含めて、家族やケアマネジャーさんに言葉にして伝えてみるのも一つだと思います。
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まだ入所を迷っている段階の方には、私が「そろそろ考えるときかもしれない」と感じたきっかけをまとめた親を施設に入れるタイミングはいつ?迷い続けた私が感じた5つのサインも、あわせて読んでいただけたらと思います。
迷っている時間も、納得して決めるために必要な場合がある
なかなか決断できない自分を、責めなくていいのだと思います。
私は、迷っていた時間を「先延ばし」だったとは思っていません。
母のこれからの生活に関わる決断だからこそ、納得できるまで考える時間が必要でしたし、中途半端な気持ちのまま決めていたら、もっと後悔していたと思います。
施設入所後も、自分たちなりの新しい関わり方を探していく
私は入所後、姉と交代で面会に通い、ときには母と外出してお昼ごはんを食べたりしながら、母との新しい距離感に慣れていきました。
施設に入れたら関わりが終わるのではなく、関わり方が変わっていくのだと、いまは感じています。
まとめ:罪悪感が残っていても、揺れながらでいい
最後に、いまの私の正直な気持ちをお伝えします。
罪悪感は、まったくなくなったわけではありません。
母に帰宅願望が出たと聞けば、いまでも心は揺れます。
「もっと一緒に出かけたかった」という思いも残っています。
それでも、罪悪感が残っていることは、施設入所という選択が間違いだったということではありませんでした。
私の中では、「これでよかった」という気持ちのほうが、少しずつ大きくなっています。
罪悪感は、無理に消さなくていい。
揺れる日があっても、いいのだと思います。
あなたの心が、この記事で少しでも軽くなっていたらうれしいです。
そして、あなたとご家族に合った選択を、あなたのペースで見つけていけますように。

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