姪っ子のところへ姉と一緒に行った帰り、母のホームへ面会に立ち寄りました。
姪っ子はお寺に嫁いでおり、そのお寺で行われる「火祭り」という伝統行事に参加するため、車で2時間ほどの道のり。
帰り道に少し遠回りして、母の顔を見に行ったのです。
母はリビングで入居者さんたちと談笑中。
職員さんに声をかけていただき、自室へ戻ってもらっての会話です。
📣「今日は何しに来たと?」
「今日は〇〇(姪っ子)の嫁ぎ先に行ってきた帰りに寄ったよ」と伝えると、
「え?〇〇は結婚したと?」と、きょとん顔の母。
「うん、もう結婚して子どももいるよ。結婚式、一緒に行ったやろ?覚えとる?」
「え〜、そうやったかいな?知らんかった。結婚しとったとね〜。
ばあちゃん(←母は自分のことをこう呼びます)も結婚式行った? 本当に?」と、疑いのまなざし…。
仕方なくスマホを取り出し、結婚式の写真を見せると
「本当やね。ここに写っとるのは、ばあちゃんやね…へぇ〜知らんかった〜」と、半信半疑の様子。
そしてスマホをバッグにしまうと…
🌀再びの「今日は何しに来たと?」
「へ?…さっき言ったけど……」と心の中でつぶやきながら、もう一度説明。
「今日は〇〇の嫁ぎ先に行ってきた帰りに寄ったとよ」
「え?〇〇は結婚したと?」
──また、同じきょとん顔。
「うん、もう結婚して子どももいるよ。さっき、写真見せたやろ?」というと
「え?見たかいな?知らんよ」
再びスマホを取り出し、同じ写真を見せると…
「本当やね。ここに写っとるのはばあちゃんやね……へ〜知らんかった〜」
(さっきと同じリアクションです🤣)
そしてスマホをバッグに戻すと……
♾またまた「今日は何しに来たと?」
ついに3回目の同じやり取り。
もはやこれは「会話の無限ループ」。
笑ってしまうような、ちょっと切ないような、なんとも言えない気持ちになります。
そしてふと、私の頭に浮かんだのは──
志村けんさんの「ひとみおばあさん」のコント。
おばあさんが同じことを何度も聞いて、相方が困った顔で受け答えする、あの名場面です。
「これって……あのコントと同じ場面やん😂」
笑えるような、でも、心のどこかに切なさも残る不思議な感覚。
母の短期記憶が、以前よりも明らかに低下してきていると感じた瞬間でもありました。
🤯在宅のときなら耐えられなかったかも
もし、これが在宅介護の頃だったら、
こんなに何度も同じ会話はできてなかったと思います。
「もうその話さっきしたやん!」って嫌気が差して、
ついキツく言ってしまったり、会話を打ち切ってしまったり…。
でも、今は施設で生活している母と久しぶりに会う時間。
多少の切なさはあるけれど、同じ会話でも内容は何でも良くて、楽しく過ごせればいいと思えるようになりました。
何度も同じリアクションをする母の顔は、どこか微笑ましくて──
今では「今日も絶好調やなぁ」と思いながら、母のペースに合わせています。
🧘♀️かつては私も“イライラ無限ループ”だった
この記事を読んでくださっている方の中にも、
「うちもそうそう!」と思っている方、きっといらっしゃるのではないでしょうか。
認知症のある家族との会話の繰り返しに、
ついついイライラしてしまうことありますよね。
私も在宅介護のときは、本当にイライラモード全開でした💦
「もう何度も言わん!」って怒ってしまったことも、一度や二度ではありません。
でも本人は、毎回が“初めて聞く話”。
「なんで怒られるの?」って顔をされると、
その反応にまたイライラしてしまう……という、負のループでした。
そして最後は、怒ってしまった自分に自己嫌悪。
──ほんと、やんなっちゃうなぁって思ってました。
🌸今は“ゆっくりループ”も、ちょっと幸せ
ホームで過ごすようになってから、
在宅のときにはできなかった**“同じ会話を何度も”が、
今は穏やかな気持ちでできる**ようになったんです。
不思議ですよね。
面会の時間のほとんどが、同じ質問と同じリアクションの繰り返しだけど、
母が納得いくように話すことが、今の私にはとても大切な時間になっています。
💬あなたも“ループ中”ですか?
認知症介護において、
会話のループはよくあること──でも、その受け止め方は人それぞれです。
イライラするのも、怒ってしまうのも、当たり前のこと。
私も何度も失敗しました。
でも今は、「繰り返しても、いいやん」って思えるようになりました。
同じ話を何度もする母と、
同じように何度も驚く母の顔を、
ちょっと面白がりながら、これからも付き合っていこうと思います。
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